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社長の一言メッセージ(2000)
今、幸せですか?
ある人が一人の身体障害者の女性にいたわりの気持ちを込めて言った。
「お体が不自由だといろいろ辛いことも多く、時には人生が灰色や真っ黒に思うこともあるのでしょうね。」
するとその女性は明るくこう答えた。
「ええ、でも私は色は自分で選ぶことにしているんですよ!」
人生に絶望的状況というのは絶対にあり得ない。
状況に絶望する人間が存在するだけである。
人は幸せな感情がおきて、自分が幸せだと意識するのではなく、
自分が幸せだと意識することによって、幸せな感情がやってくるのである。
あなたは今、幸せですか?
かっこよく生きる
前回のメッセージで社員から感想が送られてきた。
「”男は決して逃げないものだ”というのはかっこいい。
自分もそんな風に常にかっこよく生きていきたい。」
返信を送った。
「わかる。わかる。自分も70才を過ぎても常に自分の美学を語り、
かっこよく生きたいと言っていたら、その生き方がかっこいいと思う。」
女が常に美しくありたいと思うのと同様、男は常に格好良くありたいと思うものだ。
大事なのは何が美しく、何が格好いいかである。
「不格好でも良い。誠実にひたむきに生きていきたい。」
というのはかなり格好いいと思う。
格好良く生きるのと格好つけるのとは全然違うものだ。
まずは心のオシャレからしよう。
「あなたはどういう風に生きていきたいですか?」
と質問されたら、僕は即座に答える。
「美しく生きたい。」
男は決して逃げないものだ
アナウンサーの櫻井よしこさんの講演会で聞いた話である。
数ヶ月前の17才の少年のバスジャック事件を覚えておいでだろうか。
あの時、外国人記者クラブでは一斉にビッグニュース扱いで海外に打電されたそうである。櫻井さんは、他に17才の少年の事件はたくさんあるのに、又アメリカでは小学生が銃撃戦をするという位なのに、何でその事件を外国人はそんなに興味を持つのだろうかと思ったそうである。
新聞を見せてもらってわかった。そのヘッドラインには次のように書いてあった。
“JAPANESE MAN RUN AWAY”(日本人の男は逃げる)
御記憶の方も多いと思う。あの時バスの後ろの窓から逃げた男性がいた。
外国人は17才の少年よりもその男性に興味を持ったのだった。
女、子供が刃物を持った男に脅されている場面で、男は決して逃げられるものではない。それが原因かどうかは分からないが、犯人は激高して中年の女性を刺して死なせた。
52才と言えば会社でも家庭でも重い責任のある、日本を支えている日本人としての象徴となる人である。
櫻井さんも個人的な感情としては、“もし彼が夫だったら、家族のことを考えてよく逃げてきてくれたなどとは更々思わない。頭をこづき、蹴飛ばして、即刻離婚だ!”
という思いはあった。が彼は夫でもないし、極限状況だから・・
日本人の男性をあまり悪く言われるのも癪に障るので、「あなた方だってそういう状況になれば、絶対に逃げないと言える?あなたの国の人だってそういう人はいるんじゃないの?」と外国の記者達に言ってみた。答えは「ABSOLUTELY NOT!」 (絶対にない) と確信を持って誰もが言った。
外国ではそんなことをしたら、家庭でも職場でも完全に信頼を失い、社会的に抹殺される。というのだ。
レディファーストがある国だから、男性に対してもイメージが確立されているのだろう。
仕事などでも”辛い仕事や嫌な客、厳しい目標や重い責任”など逃げたくなる場面は多くあるが、普段からそういう時に逃げない訓練をしていないと、いざという時情けない自分が現れる。
”逃げない。約束は守る。そして出来なかった時は言い訳はしない。”というのは、自分の人間としての尊厳と誇りを高めていく最も大事な要素の一つだと思う。逃げた男性を責められるかどうかは別にして、これだけはしっかりと胸に刻んでおきたい。
「男とは決して逃げないものだ!!」
罪悪感
罪悪感は「自分の誤った行為」に対して持つべき感情であるはずなのに、私達は「誤った行為をしてしまった自分自身」に持ってしまう傾向があります。自分の犯した行為は自分そのものや自分の全てではありません。人はミスを犯します。弱いところもあります。次からしないように努力すればいいのです。
必要以上に自分を責める必要はないのです。ミスを犯したからといって、自己の尊厳を傷つける必要はありません。あなたはいつだって素晴らしい人なのですから。
問題を起こしたことでは、人の信用はそれ程傷つかない。人の信用を良くも悪くもするのは、その後の対応の仕方なのである。
うまくいく関係
「あなたがいい恋愛や結婚をしているかどうかは、次のような状態にあるかどうかで判断できる。
1.私は私でいられる。
2.あなたはあなたでいられる。
3.私たちは私たちでいられる。
4.私たちはお互いに影響しあいながら人間的に成長している。
いい恋愛や結婚とは本質的にこれに尽きるのである。」 J.G.ウィティツ
男同士の関係でも「貴様は貴様、俺は俺、だけど友達」という言葉がある。
相手に対する尊重と、自分自身に対する誇りを同時に大事にしていくことにより、いい関係が作られていく。
わがままと自尊心は違う。納得の出来ない批判や中傷に関してはたとえ愛する人からでも、毅然と対決しよう。
又相手は自分とは違うものだ。もう相手を自分の思うとおりにしようとすることはそろそろ止めにしよう。
愛を与えることは・・・
私は彼がいなくなったら生きていたくない。
彼なしでは生きていけないんです。
それ程までに彼のことを愛しているんです。」
あなたは間違っていますね。あなたは彼のことを 愛してなんかいませんよ。彼に愛されたいという気持ちが強くて、彼に依存しているだけです。
自分一人で生きられないとしたら、 あなたは他人に寄生しているのと同じだ。
自立して一人でも充分やっていける人達が、一緒に生きることをお互いに選んだとき、愛し合うことが出来るんですよ。
だから相手を束縛せず、相手に何も求めず、ありのままの彼を受け入れ、愛することが出来るのです。」
愛されようとするのに忙し過ぎるから、愛するエネルギーが残らない。
自己を確立し、自分を愛し、自分を高めることによってこそ、本当に他人を愛し、2人の愛を高めることが出来るのである。
愛することは献身や自己犠牲ではない。
愛を与えることは自分自身の最も高度な人間性の表現なのである。
アリギリス
我が家で妻とよく話しているうちに自分たちのポリシーみたいなものが出来て、勝手に我が家の「家訓」と名付けたものがある。
『アリギリス』
昼は蟻のように一生懸命働いても、夜や休みの日はキリギリスのように歌でも歌って楽しく過ごしたいものだ。”楽しい”ということは自分が効率的に成長していく上で不可欠のものだ。我が家には「苦労厳禁」という言葉もある。人生を楽しく過ごすことにより、仕事も家庭も趣味も充実してよりよいものになってくる。”楽しみ方”を探すことよりも、”今、自分はこんなに幸せである”ということに気づくことのほうが大事である。
『2兎を追うものは3兎を得る』
正反対に走っていく2匹の兎を同時に捕らえなければならない時がある。いやむしろそういった時の方が人生においては多いように思う。お客さんの利益と当社の利益を同時に成し遂げる。相手と自分や個人と集団の要求や希望を同時に満たす。強くて優しい人になる。固い信念と柔軟な考え・・・正反対にいるように思えるものを同時に捕まえるためには、それらに共通している根っこにある第3の兎を掴むことだ。お客さんの利益を満たすことが自分たちの利益に繋がる。相手を幸せにする事が自分が幸せになることである。本当に強い人こそ本当に優しい人である・・・
『着実に歩むウサギ』
ウサギのような跳躍力を持てるよう、常に自分を鍛えていく。ただどんなに能力に勝っていたとしても、慢心していては亀にも負けてしまう。自分が戦う相手は常に自分の中にいる。
etc...
(但し、我が家の家訓の意味するところを子供達が十分に理解しているとはいえない。)
おいしいお酒の飲み方
おいしい酒の飲み方の1番手はなんと言っても”人”である。いい人、素敵な人、好きな人と飲む酒が一番うまい。次が”雰囲気”である。雰囲気のいい店、雰囲気のいい場所で飲む酒はうまく感じる。
その次が”肴”。おいしい料理である。そして最後に”酒”そのものの味がくる。
そんな話で盛り上がって、”私のベストシチュエーション”という話になった。私、
『自分の愛している人達と高級日本料亭で活き造りの魚を前においしい日本酒を差しつ差されつ・・季節は冬。障子戸を空けると鹿威しにうっすらと雪が降り積もっている・・とまあこんな感じかな?』
すると某女性社員が言う。
『私のベストシチュエーションはこう。場所は都会の超高層マンションの最上階にある自分の部屋。ワンフロアーでお洒落なインテリアの部屋に彼と二人。窓を開けると眼下に走る高速道路の騒音がゴーと響く。そして窓を閉めた途端に静寂がやってくる。振り向きざまにワイングラスで乾杯。グラス越しに優しいあなたが見える・・とまあこんな感じかな?』
ん・・・なかなかやるな!
もしかして、おいしいお酒の飲み方は”素敵な人と素敵な会話”これに尽きるのかもしれないと思った。
恋愛の進化
恋愛はまず熱情から始まる。
そのあとお互いの気持ちが意のままにならず葛藤が始まる。
葛藤を抜け出るのは理解である。
相手を理解できるようになると、
“こんな自分を愛してくれて”と感謝の気持ちが生まれる。
常に感謝の気持ちでいると、
相手のすばらしさがわかって相手を尊敬するようになる。
さて、あなたは今どの辺にいますか?
熱情、葛藤、理解、感謝、尊敬と進んでいくが、
ポイントは葛藤から理解へ進むところである。
“理解して欲しい”ではなく、“理解しよう”というところに進めば、
あとはスンナリといく。
人は自分は自由でいたいのに、
相手は自分の意のままになって欲しいと願うわがままな生き物である。
逆の立場で相手も自分と同じように望んでいる。
自分の思うとおりにしようとしてもダメだし、
相手の思うようにして自分を殺してもダメである。
相手を理解するところから全体を理解する事によって、
二人の関係をどうしたらいいかが見えてくる。
地球から空を眺めていれば、どうしても太陽は“東の空から昇って、西の空に沈んでいく”ようにしか認識できないものだ。
宇宙を理解しよう。
今を生きる
過去の出来事自体には「楽しい」とか
「悲しい」といった色はついていない。
過去の出来事を「楽しく」思い出すか、
「悲しく」思い出すかは今のあなたの心が
決めている。
人生に対する計画というのは、
今後のことや明日のことを考える前に、
たった今を素敵に生きることから始めるものである。
今を素敵に生きている人の人生には、
過去に「素晴らしい思い出」が、
未来には「大きな希望」が生まれてくるのである。
思い出
『いつ思い出しても、胸がキュンとなり、心が暖かな想いで満たされていくような、素敵な思い出をひとつ持っていたとしたら、その後の人生がどんなに辛いものだとしても、その思い出だけで一生幸せに生きていける。』
誰に聞いた言葉だろうか..
それ程でなくてもいいから、そのぐらいの思い出を少しずつ残していけるように人生を送りたい。
鈴の鳴る道
星野富広さんは中学校の体育教師だった頃、宙返りで頭から落ちて脊髄を痛め、両手足が麻痺して、口で絵筆を操り、花の絵とか詩を書いている人です。
彼の「鈴の鳴る道」という作品から..
『電動車椅子で外に出るときは、舗装されていない道というのは走りづらく嫌なものである。
ある時散歩中やむを得ずでこぼこ道を通ることとなった。
嫌だなと思いながら、しばらく走った時、車輪が小石を乗り越えた。
その時背中で”チリン”と鈴が鳴った。
知人が送ってくれた鈴を車椅子に付けていたのだった。
あまり素敵な音色なので、もう一度聞きたくて引き返し小石をもう一度乗り越えた。
”チリン”
自分では振ることが出来ないので、それからは鈴の音を聞くのが楽しみで、でこぼこ道を通るようになった。
もしかして人もまた心の中にこの鈴のような物を持っているのではないだろうか?
苦しいときにその人の心の鈴が鳴る。
その人の生き方でいろいろな音色を響かせていく。』
苦しいときにこそ、その人の人間性が現れる。
私の人生の中で心の鈴は美しい音色を響かせていただろうか...
不眠症
患者「先生!不眠症で困っています。どうしたら直るでしょうか?」
医者「それは寝れば直ります。」
患者は「ああ!そうか!!」と言って、家に帰って寝た。
「寝れないから相談しているんだろうが!」と言う気持ちの強い人ほど、病気の治りが遅い人である。
彼(彼女)とうまくいっていない人は、仲良くすればいいのである。
仕事の面白くない人は、楽しく仕事をすればいいのである。
本質は単純さの中にある。
心は晴れか?
美点凝視が大事なのはわかっているが、人の欠点などが目に付くとき、それを見ないようにして良いところだけを見ようとするのは結構努力がいる。
自分の心の状態が良いときは意外に人の欠点など気にならないものである。
闇夜では月の光もこうこうと照っているが、昼間の月は霞んで見えるものだ。
常に良いところや楽しいことや素敵なことを考えていて、心の状態を晴れにしておくことが大事だ。
親友とは欠点のない人ではなく、美点を気に入り、欠点があっても総体として受容できる人である。
「人は誉めて使え!」はダメである。人には本音が伝わる。
本音は自分の意識、生き方から生まれる。
かんしゃくの苦の字を取れば感謝なり!
人の間
自分の人間性を成長させるということは、自分を磨き、自分を高め、自分を素晴らしい人間にしていくことだけではない。
私とあなたの関係を磨き、素晴らしくしていくことである。
「一人一人は弱いところやダメなところも多く持っていて、大した人間ではないが、あなたといると心が豊かになり、自分も少しは成長していくような気がする。あなたのおかげで...」
自分を磨くということは、そういう関係をより多く、より高く築き上げていくことである。
人間とは”人の間”と書く。
人間性とは人と人の間にある。
徳
徳は才の師であり、才は徳の奴である。
徳と才が秀でている者を聖人と呼び
徳が才より秀でている者を君子と呼ぶ。
又、才が徳より秀でている者は小人と呼び
才も徳もだめな者は愚人と呼ぶ。
人を選ぶときは聖人君子なら勿論いいのだが、
それが叶わぬ時は小人より愚人の方がいい。
何故なら君子は才を用いて善行を行うが、
小人は才をたのんで悪を行うからである。
徳性は人として成長し豊かな人生を送っていく上で、
最も高貴で重要な性質であるが、
これを身につけるのにそんなに難しく考える必要はない。
徳とは「寒さに震えている子供を見て、ああ可哀想だな・・」と想う心であり、
「いわれのない差別や偏見に対し、ああイヤだな・・」と想う心である。