STATEMENT
年頭所感
2002年の年頭所感
21世紀のスタート
去年の始めに、2001年は21世紀のスタートの年で、希望の年だと言いましたが、 去年を振り返ってみると、アメリカのテロの事件を筆頭に狂牛病や大型倒産など、 様々な事件が起きて、厳しいスタートとなりました。 今年もしばらくは大型倒産が起き、我慢の年だと言われています。 時代の変わり目というのは古い体質や古い価値観が崩壊していくので、もうしばらくはこういう厳しい状況が続くのだと思います。 ただ新しい芽も出てきています。 ヨーロッパでは今年からユーローがスタートし、国の垣根を取り払おうとする新しい試みがスタートしました。 長い憎悪の歴史があり、未だ戦火の続く中東でもイスラエル人とパレスチナ人の高校生が同じ教室で学ぶなどの試みがなされています。 日本でも小泉首相が誕生しました。 良いか悪いかはまだ結果が出ていないのでわかりませんが、今までの首相に無いタイプだと思います。
どちらにしろ、古い価値観や考え方、生き方が疲弊してきて、新しい考え方や社会の価値軸が求められてきています。 その新しい時代が求めているのもは何かについてもう一度考えてみたいと思います。
アメリカの同時中枢テロが意味するもの
去年の衝撃的な出来事と言えば、なんと言ってもアメリカでの同時中枢テロの事件だと思います。 この悲惨で衝撃的な事件が何故起き、何を意味するのか? そしてそれを無くすためにはどうしたらいいのか?と言うところに21世紀の新しい時代を構築していくための我々の課題があるように思います。 20世紀は戦争の時代と言われ、対立や憎しみや争いを解決できませんでした。 むしろ助長させていったように思います。 21世紀はそれを克服した新しい社会の構築が課題だと思います。 ところがそのスタートの年に新たな戦争がまた始まりました。 テロには毅然とした態度が必要だと思います。 それ故アメリカのとった行動は理解できます。 ただ戦争だけではこの問題は解決しないことも皆わかっていると思います。 この事件が起きた背景として、宗教観の違いの問題、貧富の差、民族の誇りの問題などが言われています。 この違いや差が人々に妬みや怒りや争いを起こすと言われているのですが、違いや差を無くそうとすることでは解決しないと思います。 違いや差を認め、受け入れる考え方が必要なのです。 このアメリカの同時中枢テロが我々に突きつけている問題、新しい時代が我々に求めているものは、 いつも言っている事ですが、「競争社会から共生の社会へ」、「経済至上主義から人間至上主義へ」 という新しい社会の価値軸の構築ではないかと改めて思います。
共生の社会
今はグローバル化の時代です。 もう他の国のことも対岸の火事では済まなくなってきているのです。 国籍も宗教も考え方も違う人達が一緒に住める社会(共生の社会)の構築が必要なのです。 共生していくためには違いを許し、認め、受け入れることです。 その上で自分は自分の生き方を選択することです。 自分の心に響く生き方や考え方が自分の生きるべき道を示しています。 選択するためにはいろいろなことを知らなければなりません。 許し、受け入れなければ、知ることが出来ません。 全てを知ることは全てを許し、受け入れることです。
アメリカは自他共に認める世界でナンバー1の国です。 世界中の国がアメリカに追いつけ追い越せと目標としている国です。 ところがナンバー1であるが故に妬まれテロの標的にもなるし、大金持ちになればそれを守るための警備やボディガードも必要かも知れません。 有名人になればプライバシーが無くなって、窮屈な生活になる事も出てきます。 強い光を浴びると濃い影が出来るのです。皆が一番になろうとしても全員が一番にはなれないし、なる必要もないと思います。 自分がやるべき事、自分の役割、使命を果たしていけば良いと思うのです。 共生の社会とはベストワンよりオンリーワンの社会です。
二流の美学
私は「二流の美学」と言ったりすることがあります。 勿論、常に勝とう、一番になろうと努力はしますが、いつも勝てるわけではない。 でも負けたときに人の心の痛みや自分の心の強さなどを学ぶことが多いのです。 そうしたときに人としての成長をしている気がします。 精一杯の努力をして負けたとき、素直に勝者を讃えることの出来る自分でありたいと思います。 勿論三流では自分の努力が足りないと思います。 一流の人を讃え、三流の人をバカにしない、素敵な二流に魅力を感じるのです。 そしてある分野では二流かも知れないが、人として一流になりたいと思います。 どのレベルが一流で、どのレベルから二流かは人それぞれで違って良いと思います。 要は自分の気持ちの持ち方の問題です。
今、世界には65億人の人達がいますが、いつでも腹一杯食べられる人はその1割強の5億人だと言われています。 そしてその中に日本人の1億3千万人はほとんど入っていると言われています。 今、私たちの健康の為にはより多く食べることよりも、病気にならないようにダイエットが必要とされています。 健康に生きていくために必要な栄養やある程度の快適に暮らすために必要な住居や衣服は必要かも知れませんが、 さらにより多くと望む欲望を満たすことよりも、 バランスのとれた健全な体、健全な心、健全な社会を作り上げる事が必要になってきているのだと思います。
愛国心
アメリカでは事件後愛国心が高揚して星条旗が飛ぶように売れていると言います。 私の思う愛国心とはアメリカ人としての誇りと言うより、自分が世界人としての誇りを持つことによって、 自分の国に対する真の誇りを持つことが出来ると思うのです。 自分が他人や他の国の人にとって有益で必要な人間であると言うことによって、個人としても日本人としても真の誇りが持てると思うのです。 西欧的な、物事をイエスとノーと分ける考え方が、対立を生んでいると思うのです。 日本的な中庸の美学が見直されていいと思います。 ただイエスとノーの中間としての曖昧さではなく、イエスとノーの両方を包み込んでいく大きな考え方が必要だと思います。 人間は天使でも悪魔でもないのです。 その両方を含んだより大きな存在だと思います。 私が海外を旅行していたときも、日本人としての誇り、愛国心を強く持っていました。 それは日本という国が何でも素晴らしいと言うより、いいところも悪いところも含んだ上での愛着からです。 国や民族や宗教、文化や貧富や地位など関係ありません。 いい人がいいのです。 個人の人としての尊厳がその人の属している国や組織の誇りを高めていくのです。 自分は日本人である前に世界人である。男や女である前に人間である。 そういった誇りが日本人として、男としての誇りに繋がっていくのだと思います。
自分の納得した生き方をする
「こうでなければならない」がこころを萎縮させ、不安や焦燥を増幅させます。 「こうありたい」が希望を生むのです。 そのためにはまず全てを受け入れることです。 全てO.K.です。 丈夫な歯を長持ちさせようと思うのだったら、食後に甘いものでも食べてホッとくつろいだ気持ちになるのがいいのです。 病気になる根本は心が起こしています。 煙草も止められないのだったら、至福の一服という気持ちで吸った方がいいと思います。 体に悪いけど止められないと言う気持ちで吸っているのが一番体に悪いのです。 勿論周囲に迷惑をかけない配慮は必要です。 健康には生きたいが、健康のために生きると言う生き方はしたくありません。 人にとって一番いい生き方は自分が納得して生きる生き方です。 例えそれが身体的や生活のリズムを外れていたとしても、自分でこれがいいのだ、この生き方を選んだのだと納得し、幸せだという感情に包まれて生きるのが一番いいのです。 人生は成功したとか、失敗したとかという外側からみた形ではなく、自分が満足しているか、幸せかと言った自分の気持ちや思いが決めているのです。 旅行をしていても自分の行きたいという思い入れがあればあるほどその地に立った時、深く感動します。 そうでなければただのどこにでもある山や海だし、遺跡も道端に転がっている単なる岩や石に過ぎなくなってきます。 人生は自分の思い一つで変わってくるのです。 素敵な人生というのは何かを得たり、成し遂げることよりも、周囲に素敵な人達に囲まれてお互いに愛情や信頼に包まれて、それを感じながら生きていくことだと思います。 素敵な人達に囲まれるのはそういう人達が周囲に集まってきた時ではありません。 今、自分の周囲にいる人達を素敵に思える自分が出来た時です。 人生は未来にあるのではない。今日、今ここにあるのです。 人生にとっての満足感とは、今無いものを手に入れた時にあるのではなく、今持っている物に感謝することが出来た時、満足感のある人生を送ることが出来るのです。
主体的に生きる
欲しいものを数えるのではなく、今自分が持っている物を数えて感謝する。 すると自分の得意なものがわかり、それに磨きが掛かり、それがやがて自分の武器となり、欲しいものが手に入るようになります。 人は自分の役割を果たすため、利用しなくてはいけないことを長所として、また反対に触れてはいけないことを短所として持って生まれてきたのです。 人は皆使命を持って生まれてきています。 自分の使命が何かを知り、それを果たす中で、人としての成長を続けていくのです。 真に主体性のある人間というのは競争心や闘争心というものはあまりありません。 自分にとって自己実現とは何なのかを理解し、自分のやりたいこと、やるべき事に目を向けて自分の道を進んで行っている人です。 大きな事をしたいと思うのは他人の目を気にした人生です。 自分の人生を有意義で大いなる人生とするためには、何か大きな事をするのではなく、自分に出来る小さな事を大きな愛と心ですることです。 勿論、大きな事をしたり、一流になってはいけないと言っている訳ではありません。 競争心や他との比較に捕らわれず、主体的に自分の道を進んでいくことが、結果的に一流になったり、社会のために何か大きな事を成し遂げることにも繋がっていくのだと思います。
本物の人間、本物の企業が伸びる
顧客が店を選択する要因の第一位は「信頼」であるのに対し、企業側は上位に「価格」や「品質」や「技術」を上げています。 単に安かったり、品質が一番だからと言って顧客はそれだけでは飛びつかないのです。 あくまでも顧客の「信頼」を勝ち得るための「価格」や「品質」や「技術」でなければなりません。 人が信頼を寄せるのは人に対してです。 良質の商品やサービス、企業の文化を通して人や企業に対する信頼を寄せるのです。
エスピックにはいい人材がたくさんいると思います。 ただ、まだ若い人達が多いので、人としても、企業としても発展途上にあります。 若い人達というのは空のボトルなんかではありません。 キャンドルです。中に何かを入れてやろうとする必要はありません。 火を付けてあげさえすれば自ら燃え上がるのです。 それは誰かに付けてもらうのを待っているだけではなく、自ら火を付けて、自ら燃えていく姿勢が必要です。 自分の為だけでなく、エスピックの為、そこで働いているみんなの為に、お客様や社会の為に自分が出来る事で少しでも貢献していく。 そうすると単に自分の欲望を満たすだけでない、もっと深いところで自分の本質的な“やる気”に火が付いてきます。 それが結局自分の為になり、そして自分の人生に意義と意味が与えられていくのです。 エスピックには新しい時代にあった文化と理念があると思います。 数年後のみなさんの成長した姿がとても楽しみです。 ただ、今は激動期で厳しい時代です。自分をしっかり持っていないと不安が襲ってきます。 苦しいときには夢を語れと言います。 そうすると心が強くなります。 今必要な人は現実の姿を見て何故だ?と分析する人ではなく、不可能な夢を見てやってやろうと思う人達です。 こういう激動期には本物の人間や本物の企業が台頭してきます。 エスピックにとって、自分にとってチャンスと捉えて、新しい時代にあった、新しい企業をみんなで作っていきましょう。
平成14年1月7日
株式会社エスピック 代表取締役社長 島 至